読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

人生っていいな

崩れかけた夢だって叶えたいとだけ信じて、あの日泣いた自分にケリをつける。

志望校に合格した話

長かった高校受験が、ようやく終わった。

私は、公立一本で人生初の受験に挑んだ。

あれは確か、夏休みに入る少し前くらいだったと思う。



「私立に行くお金なんて無いから、滑り止め無いよ」


嘘だろ??????と思った。



私の母親は、まあちょっとアレな人だ。友達付き合いは良いけれど、基本的に放任主義だし、育児放棄スレスレの事だって普通にする。色々あって包丁ぶん投げられた事もあったし、首を絞められかけた事もあった(今はそれをネタ扱いにできなくもない)。
ただ、別にそれを訴える気は私にも、7つ上の兄にも無い。

「自分らの母親は他の母親とは違って、お金を稼ぐだけの人間なのだ」
「たまに用意される夕飯が、普段家に居ることなんてほとんどないあの人の精一杯の愛情なのだ」

私が小学五年生の時に両親が離婚し、母子家庭として生きる事になってから、そういう力は私も兄も強くなったと思う。

まあ、話を戻そう。えーとなんだっけ、あ、そうそう、高校受験が終わりました。
今日が、合否の発表だった。中学校に登校してから、同じ高校を志望する生徒全員で高校に行って、合否を確認して中学校に帰ってくるという日程。程よく朝の通勤ラッシュで押し潰されてきた。

そして私の結果は、嬉しい事に

合格

だった。


中学校に戻って先生方に報告をし、その場にいたほぼ全員の先生が大喜びで「おめでとう!」と言ってくれた時は、涙が出そうだった。
と言うのも、私はこの中学でかなりの問題児だったからだ。
いや、問題児だと語弊がある。この3年間、特に目立った悪事もしていないければ、廊下に立たされたり、怒鳴られたり、提出物を出さなかった事もほとんどない(遅れた事は数え切れないくらいある)。
問題児と言うより、公立一本で高校受験をする生徒は非常に少なかったそうで、そういった面で先生方は相当不安だったようである(まるで他人事)。

そして何より、20代前半と若く、昨年度初めてのクラスを持ち、今年度は2年目にして初めての3年生のクラスを担任したのが私の今の担任だった事が、色々な意味で先生方の中に緊張を生んでいた。
兄と殆ど変わらない年齢の彼だが、驚くべき事に、彼は私にとって「部活」と「委員会」の顧問でもある。
正に、何処にでもいるよ……な人間だった。
本当に、どんな活動をしても必ず居た。割と気持ち悪かったと思う。

しかしそんな担任だからこそ、私の事はとても気にかけていてくれたらしい。それなりに仲も良かった分、何回かぶつかり合ったこともあった。小さな事で喧嘩して、口論して、クラスの男子に宥められたこともある。
今日、報告に行った際、最初は冷静さを保っていたものの、私がいざ帰ろうとした時に呼び止められた。

差し出された手を、私は迷わずに取った。いつもならセクハラだセクハラだ、と触らせないことを徹底してきた(勿論本気ではない)私だったが、そんな冗談を言える心境では無かった。

「良かった、良かった、本当に、凄く心配していた。でも同じくらい信じてもいた。俺、すっげぇ嬉しいよ。

何か一言でも喋ったら、声が震えそうで、涙が出そうで、そんなのプライドが許さなかった。泣いてなんかやんない。
そう思うと何も言えず、私はただ頷いて、泣くもんかと担任の目を前から堂々と見据えて、痛いぐらいにその手を握り返してやった。


ただただ、嬉しかった。
志望校に合格した事も、ここまでの苦しすぎる道のりや残酷な環境を乗り越えた自分がいる事も、担任に喜んでもらえた事も、全部が嬉しくて感動した。
正直、滑り止めを受けない人なんて殆ど居なくて、自分が相当おかしな状況である事は知っていた。皆が私立の説明を体育館で受けている間、私だけが教室に残り、一人寂しく自習をしていた時が一番こたえたと思う。焦っていた、という表現が正しいのかは分からないが、多分それに近かった。


受験期間のことは、今後ちょいちょい話せたら良い(NEWSが深く関わってくるからじっくり書きたい)。
ただ、あの瞬間は、色褪せない今日の内に書いておきたかった。だから書いた。
夢を諦めなくて良かった。そう思えた。
良い経験をしたと、胸を張って言える。母親に馬鹿にされ続けた日々に、「どうだ!やってやったぞ!!!」と言える。

よーーーーし、取り敢えずJKになれる事は確定したから、今日は沢山NEWSのライブDVDとその他諸々見るぞーーーー!!!!!!
しんどかった頃の記憶よ消えろッッッッ!!!!!!!!